CAREER描けるキャリア


“現場”と“本社”、
両方の経験を強みに
未来のホテルづくりで
活躍する人材へ
ホテルメトロポリタン
羽田 宿泊セクション
渡邉 稜Ryo Watanabe
2016年入社
お客さまには見えない
ホテルの仕事の裏側を知る
入社後1年間は、ホテルメトロポリタン エドモントで料飲・宿泊・宴会を3ヶ月ずつの計9ヶ月、残りの3ヶ月をJR東日本ホテルメッツと本社で実習を行いました。「各部署の仕事を覚え始めた頃に次の実習先へ」の繰り返しでしたので、「限られた時間で効率的に覚えなくては」という思いもあり、積極的に先輩方とのコミュニケーションを図っていました。ホテル業界を志望した理由は、「接客業の王道だから」です。ホテルのスタッフにキラキラしたイメージを抱いていましたが、実際には「上質なおもてなしの実現」のためにお客さまに見えない裏側で、地道な積み重ねがあることを知りました。ホテルの仕事を幅広く経験できた実習期間のなかで最も私の心をとらえたのが、宿泊部門の仕事でした。「ホテルで働くからには、宿泊するお客さまにサービスを直接提供したい」と強く思うようになりました。
お客さまからの
感謝の言葉が自信となる
800室以上ある池袋のホテルメトロポリタンの宿泊部 客室に本配属となりました。まずはハウスキーピング業務を通して、ホテルのメイン商品である「客室」について学びました。その後、フロントへ異動し、チェックイン・チェックアウト業務に携わりました。フロントで勤務をしていた時、中国から旅行に来たお客さまとの出会いが印象に残っています。その方は2名で宿泊予約をされていたのですが、チェックインの際に3名で宿泊したいとの要望を受けました。その時私は、希望通り3名で宿泊できるか非常に不安そうなお客さまの様子を見て、「希望通りのお部屋を準備するので、少しお待ちください」とお伝えし、客室と連携して速やかにお部屋へご案内をしました。
後日、「渡邉さんの接客で安心できた」とお礼の手紙をいただけたことで、「自分の行動がお客さまの満足に繋がった」と実感でき、自信を持つことができました。
JR東日本グループの
一員としての
ポテンシャル
ホテルの開発プロジェクトの推進を担う部署が新たに開設されるタイミングで、その部署に異動しました。業務内容は、鎌倉や川崎のホテルメトロポリタン、竹芝のメズム東京の開業サポートや、それ以降の新規開業に向けた物件候補の選定などです。今までとはまったく異なる業務に戸惑うことばかりでしたが、少しでも早く周りの先輩方に追いつけるよう、他社の最新ホテルへ泊まってリサーチをしたり、建築関係の資格の勉強をしたりして、知識の蓄積に励みました。
基本的に当社の開発プロジェクトは、JR東日本グループ各社とタッグを組んで進められます。設計会社や駅ビルの運営会社など、さまざまな専門性を有するグループ会社の方々と合同でミーティングをする機会が多く、多様な知見を得ることができました。また、当社はJR東日本グループが取り組むまちづくりなど、スケールの大きな仕事にも関われるポジションにあることを改めて実感しました。
ホテルの開発から開業まで
継続して
携わることのできる喜び
ホテルを新しくつくる場合、建物の企画、設計が一通り固まって、備品の選定や細かいオペレーションを検討する段階になると「開業準備室」が新設されます。私は、ホテルメトロポリタン 羽田の「開業準備室」の立ち上げメンバーとして異動しました。それまで新規開発グループのメンバーとして複数の新規案件に関わっていたのですが、その中でも私が主として開発を担当していたのが羽田でした。自分がこれまで進めてきた開発を誰かにバトンタッチすることなく継続的に携われることとなった大きな喜びを感じると同時に、「果たして自分がどこまで貢献できるだろう。できるだけのことをやらなくては・・・」と身が引き締まりました。自分の持てる知識や経験を総動員し、また他のホテルの開業時の事例も参考としつつ、開業準備期間の膨大なタスクを着実に進めていったのです。
再びサービスの最前線に立って
自分とホテルの将来を見つめる
ホテルメトロポリタン 羽田の開業にあたり、宿泊セクションに配属になりました。自分が計画段階から携わっていたホテルの開業に携わり、さらにそこで実際にお客さまをおもてなしする仕事に就くことになりました。現在は、ハウスキーピング業務に従事しています。主にVIPのお客さまが宿泊する客室の点検や、備品の貸し出し・回収等を行っています。入社2年目にもハウスキーピングを経験しましたが、その時と比較すると、新たな備品の購入や設備の修理など、裁量をもって任せてもらえる範囲が格段に広がりました。当面は現場での経験を積み、レベニューマネジメント(需要を予測し、最良の客室単価を設定し、収益を最大化する手法)などホテル経営の数字についての理解を深めていきたいと思っています。そして将来は、現場で得た経験と理論の裏付けをもって、日本ホテルがこれから展開する未来のホテルづくりに関わっていきたいです。

ライフイベントを
乗り越え
子どもといっしょに、
自分も成長
宴会部 宴会サービス
服部 美沙Misa Hattori
2012年入社
自分で動けるようになり
仕事が面白くなる
最初は、配膳会スタッフの方々と卓上セッティングや片付け、ゲストへの飲食提供、翌日の会場設営といった宴会の基礎などを3ヶ月かけて学びました。その後は、アシスタント業務(宴会の責任者であるキャプテンの補佐)へ移行し、キャプテンになるために必要な知識やスキルを学びました。初めは何をしたらいいか分からずキャプテンからの指示を受け動くだけでしたが、このままではいけないと感じ、「宴会の中で自分がどう動くべきか」を考えるうちに、しだいに自分で動けるように。請書(宴会の内容が記された書類)を見て、あらゆる場面を想定して事前に準備することで、スムーズに宴会が進んでいくことに面白さを感じるようになりました。
たくさんのスタッフの
要となって
満足いただける宴会をつくる
キャプテンになった当初は、配膳会スタッフに正確に指示を出して、宴会を取り仕切ることの難しさに苦戦する日々が続きました。また、宴会に関わるさまざまな部署のスタッフとの人間関係を築くことにも、力を入れていました。宴会でホテルをご利用いただいたお客さまから、タクシーの手配やレストランの予約といった要望を受けることもありますので、そのような際には、他セクションとの協力は欠かせません。いろいろな人たちの力をまとめながら、一つの宴席を成功へと導くキャプテン。打ち合わせ通りに会を進行し、予定外の出来事にも対応することができて、「今日はありがとう」とお帰りになるお客さまを見送った時の安堵感や達成感は、仕事の活力にもなっています。
一生の宝となるチャレンジ
上司から勧められて、全国B.M.C.(宴会支配人協議会)が主催する第5回若手コンペティションに参加。一次予選、東京予選を経て、大阪で開かれた全国大会へ進みました。それまで前に出ることに積極的ではなかった私が、大勢の方に向けて「私が考える夢を持てる業界像」をテーマに5分間のスピーチを行いました。まさか全国大会にまで行けるとは想像もしていませんでしたが、「どうせやるなら上を目指そう」と、上司や職場の仲間からアドバイスをもらいながら、発表内容をブラッシュアップ。一生懸命に取り組んだ甲斐あって、最優秀賞をいただくことができました。自分にとっては、一生の宝といえるような貴重な経験ができたと思っています。
キャプテンとして
次のステージにステップアップ
小規模な一般宴会からスタートして経験を重ねて、4年目には婚礼キャプテンとしてデビューしました。お客さまにとって人生の記念となるイベントであり、なおかつ、お花、写真、美容など、一般宴会よりも関わるスタッフが多い婚礼のキャプテンは、キャプテンとしてのキャリアの集大成といえるものです。この頃になると、苦心してきたスタッフへの指示出しや、関係各所とのコミュニケーションや連携も、自分なりにできるようになっていました。
周囲のサポートを受けて
納得できる形で産休・育休へ
キャプテンとしての仕事が楽しくなってきた6年目。妊娠したことはとても嬉しかったのですが、「まだまだ現場でキャプテンとしてのスキルを磨きたい」と強く思っており、長期間にわたって仕事を離れることに抵抗を感じていました。そうした気持ちから、もしかすると周囲の皆さんには迷惑をかけてしまっていたかもしれませんが、産休・育休に入る直前までキャプテンとして現場に立っていました。私の仕事への想いを尊重してわがままを許してくれた上司、私をサポートしてくれた後輩や配膳会スタッフの皆さん、また無理なく働けるように勤務シフトを調整してくださった当時の支配人には、感謝の気持ちでいっぱいです。
時短勤務で、
家庭と仕事を両立
私は入社13年目に2回目の産休・育休を経験して復帰。9時半~16時半までの時短勤務で働いています。土日は基本的に休みで、平日週5日の勤務です。月~木の4日間は入社2年目から担当する地域のロータリークラブの宴席のキャプテンを務めるほか、勤怠管理や婚礼引出物の納品検品作業などの事務作業、クローク業務のヘルプ等に携わっています。子育てと仕事の両立は決して楽ではありませんが、充実した日々を送っています。そうしたなかで、子どもたちの成長に寄り添いながら、自分自身も成長していきたいという意識が強くなりました。そのために、これまで経験したことのない仕事にも積極的に挑戦していきたいと考えています。

活躍フィールドを
拡げながら
バーテンダーとして
研鑽を続ける
ホテルメトロポリタン
料飲部オリエント・すずかけ
佐藤 大介Daisuke Sato
2007年入社
きたる時に備えて、
今自分にできることをする
「バーテンダーになりたい」という気持ちを胸に入社。ホテルメトロポリタンの顔ともいえるレストランに配属され、朝食からランチ、喫茶、ディナーに至るまで多岐にわたる接客業務を経験しました。面倒見の良い先輩に教えてもらいながら、接客だけでなく、会計業務、営業に必要な備品や消耗品、飲料品の発注管理なども早い段階から任せてもらいました。いっしょに働く各セクションのシェフやアルバイト、配膳会スタッフの顔と名前もしだいに覚えて、居心地の良さを感じながら働いていました。それでも、いつも心の中には「バーテンダーになりたい」という想いがありました。そこで、カクテルをつくるのとは別になりますが、バリスタとして当時流行りはじめていたデザインカプチーノづくりの練習に時間を惜しんで取り組みました。自分のアイデアを手早く形にしてお客さまに提供し、喜んでいただく。この経験は、バーテンダーとしてカクテルをつくることにも役立ったと思います。
先輩に導かれて
自分の夢に近づいていく
以前よりもお酒を提供する機会の多い職場「オーヴェスト」に異動し、一日も早くバーテンダーになるべくお酒の勉強にのめり込みました。ところが、ほどなく東日本大震災が発生。数か月はバータイムの営業はなくなり、レストラン業務に従事する日々が続きましたが、バーテンダーの先輩から多くを学ぶことができました。とても親身になってバーテンダーとしての技術やコミュニケーションのとり方、立ち居振る舞いを教えてくださいました。先輩との間で特に印象に残るのは「ホテルの数だけバーテンダーのスタイルやカクテルの作り方がある。今はいろいろな経験をして自分に合うものを習得していけばいい」という言葉。この頃から任されるようになったプロモーションカクテルの担当者としての仕事が順調に進んだのも先輩のおかげだと思います。ここからの数年間で私は、バーテンダー、バリスタ、レストランサービス等の資格を取得し、仕事の幅を広げていくことになります。
目指す場所に到達し
さらなる高みに向かう
ホテルメトロポリタンのメインバー「オリエントエクスプレス」のクラシックで重厚感溢れる空間で、バーテンダーとして働きました。メインバーというと、一般的にはバーテンダーとして特別な舞台かもしれませんが、私に特別な気負いはありませんでした。「オーヴェストで、お酒のことは誰にも負けないくらい勉強してきた、接客スキルも磨いてきた」と自負していましたから、自信を持ってカウンターに立つことができたのだと思います。また、この頃から時間帯責任者も任され、接客に加えてマネジメント的な業務にも携わるようになりました。
仕事では日本一の評価を得て、
プライベートでは家庭を持つ
それまでは、「お店に来たお客さまにいかに満足してもらえるか」でしたが、この頃から、「お客さまに如何にしてお店に来てもらうか」も考えるようになりました。調理部と連携して、魅力的なプランの商品開発に取り組み、、自社HPだけでなく予約サイトでの販促活動にも携わりました。またプライベートでは、妻と結婚し家庭をもちました。上司や先輩から「勤務時間が特殊だから苦労するぞ」とアドバイスをされたことを覚えています。しかし、私に迷いはありませんでした。翌年には長女も生まれ、さらに家庭に割く時間が増える中で、有名食品卸会社が主催するカクテルコンペティションに挑戦。東京予選を勝ちあがり、全国大会で優勝することができました。バーとしてホテルのブランド向上に貢献できたこともそうですが、お客さまや練習に付き合ってくれた後輩、同僚たちが喜んでくれたことを何よりも嬉しく感じました。
自分の好きを仕事に
自身の道を切り拓く
「コンペティションで一番になったのだから、次のステップに進むのはどうか」と言われながらも、バーテンダーをさらに極めていきたいという気持ちが強かったです。しかし、マネジメント業務も担当するようになり、売上管理や人材育成、他部門との会議に忙しく、バーテンダーとしての仕事が満足にできない日々が続き、思い悩んだ時期もありました。そんなとき、コンペティションで知りあったバーテンダーの方たちと話をする機会があり、異なった環境でそれぞれ仕事に誇りをもって働いている姿に背中を押され、「自分のやりたいバーテンダーの道を貫こう」と考えるように。その想いを胸に会社と話し合った結果、ホテル全館で提供する飲み物をマネジメントする仕事との兼務という形でメインバーへ異動。気持ちも新たにバーテンダーとして働きはじめました。
「バーテンダーである自分」を
軸に
新たな可能性を求め続ける
コロナ禍で営業時間が制限されていた期間は本当に苦しい時期でした。しかしその分、新しいアイデアに取り組む時間もできました。宿泊者向けのテイクアウトカクテルの販売や、宿泊部との連携のもと、希少価値の高い国産ウイスキーをお部屋に入れたプランの販売を実施。またコロナ禍でも研鑽を続けて、コンペティションにも出場し再び日本一になりました。その大会がきっかけで、焼酎の普及を目的とするイベントや、外交官向けのセミナーへの登壇、九州の蔵元を訪れての動画撮影といった貴重な経験につながったのです。特に嬉しかったのが、カクテルの本場ニューヨークの酒類イベントでカクテルを提供する機会を得られたこと。こうした対外的な活動の意義を理解し、サポートしてくれた会社にはとても感謝しています。また現在では、マネージャーとしても積極的に挑戦を続け集客や売上向上に向けた施策の立案、人材育成のために社員向け酒類セミナーの開催などを行っています。
「バーテンダーとして生涯カウンターに立ち続けたい」、その想いが変わることはありません。その一方で、さまざまなかたちで魅力ある職種があることや、困ったときはいろいろなセクションと協力し新たな挑戦ができることがホテルで働くことの醍醐味ではないかとも感じています。

本場、本物を
学べる環境で
料理人として
成長を続ける
メズム東京、
オートグラフコレクション
森川 綾奈Ayana Morikawa
2009年入社
冷製料理からスタートして
肉加工品の調理も
任せてもらえるように
小さい頃から料理が好きで、親に包丁をもたせてもらいながら楽しそうにニンジンを切っていたのをよく覚えています。「空間・接客・料理のすべての良さが高いレベルで融合する『食』でお客さまにインパクトを与える仕事がしたい」と考えて、ホテルで調理をする道を選びました。入社後は、ホテルメトロポリタンで宴会調理の担当部門へ。結婚式や宴会で提供される数多くの料理の中でも、冷製料理を担当するガルド・マンジェとして携わりながら、野菜場でのサラダやフルーツの準備を通して料理の基盤となる技術や知識を身に着けました。また、注文した食材の受け入れ業務も任せてもらい、知らなかった食材の名前を覚え、野菜や魚、肉の良し悪しを見分ける方法を学びました。さらに時間が経つにつれ、シャルキュトリー(ハム、パテ、テリーヌなど肉加工品)もつくらせてもらえるようになりました。
若手から中堅へと
キャリアを重ねて
JRグループの
コンテストで優勝
結婚式で提供される肉・魚料理やブッフェで提供される温かい料理をつくるセクションに異動になりました。若手が火の前に立つ機会はあまりないので、とても張り切っていました。ソースづくりをはじめ、結婚式や宴会の開始時間から逆算した肉や魚への火入れなども担当できるようになり、料理人として次のステップへ進むことができました。そして、当社の中堅社員の目標となっているJRグループの全国料理コンテストにも挑戦。入社10年目にして優勝することができました。最終審査では、私の肉料理は「ソースのおいしさがずば抜けていた」と非常に高い評価をもらいました。これは、私一人の力ではありません。先輩方をはじめ周囲からのアドバイスやアイデアがあったからこそ。「ホテルメトロポリタンみんなで作り上げた作品」で優勝できたと思っています。
本場のフレンチに触れて
料理人としての宝物を見つける
私が料理コンクールで優勝した前年に同じく優勝した女性の先輩と共に半年間のフランス研修へ。フランス行きを聞かされた時は、正直語学の不安はありましたが、本場のフレンチの調理を習得できると思うと、期待で胸が高鳴りました。現地では南仏と北仏の2つのレストランで実習を行いました。最初の仕事は、日本でもやったことのあったドレッセ(盛り付け)が中心。自分の庭で栽培している花やハーブを摘んで料理に使うなど、フランスのレストランならではの貴重な体験ができました。その後は冷製料理や賄いづくりなどの業務サポートも行いました。最も印象的だったのは、フランス現地の「水」と「食材」を活かしたシンプルなお料理です。シンプルながら、想像以上に非常においしかったのが忘れられません。フランス研修は、私の料理人としてのキャリアにおいて間違いなくかけがえのない財産となることでしょう。
初めてのフレンチレストランで
一流の料理人の教えを受けて、
次のステージへ
フランスからホテルメトロポリタンに戻って間もなく、当社が新しく手掛けるモダンラグジュアリーホテル、メズム東京、オートグラフ コレクション(以下、メズム東京)へ異動となりました。過去に世界チャンピオンの受賞歴をもつ隈元香己シェフのもとで、私は1から勉強するつもりで働き始めました。隈元シェフのもとで仕事をして、一流の料理人のすごさに驚くことばかり。私は冷製料理を担当したのですが、自分が担当したアミューズ(ひと口前菜)を試食してもらうと隠し味の細かな部分までことごとく言い当てられるほどの鋭い感覚に驚かされました。。また日本人で初めてパリでミシュランの星を獲得した統括名誉総料理長の中村勝宏シェフから伝えられたソースを教えていただくなど、本物の技術を学ぶ貴重な経験をさせていただきました。業務については、初めてレストランでの調理に携ったわけですが、宴会調理とは違う、アラミニッツ(注文を受けてからすぐに調理しできたてを提供すること)で提供することにも次第に慣れ、盛り付けにおいても、これまで経験したことなかったピンセットを使った繊細な作業も手早くこなせるようになりました。
ワークライフバランスを
とりながら
好きな仕事を続ける
メズム東京に移ってから現在に至るまでの間に、約1年半の産休・育休を取得しました。妊娠してから休暇に入るまでは、会社に相談して業務内容に配慮してもらうなど、サポートを受けながら働くことができました。冷製場から比較的動きの少ないブッチャー(肉や魚の下処理をする場所)に移ってしばらく働いた後、スムーズに休暇期間へ。復帰した後は、以前と同じ冷製場で9時から16時の時短勤務で仕事と子育てを両立しています。一日の流れとしては、ランチタイムの準備と営業、ディナーの仕込みをして帰宅するというのが基本的なパターンです。子供の体調の変化に対応するために、急に休むこともありますが、周囲のサポートに支えられながら働いています。子育てが落ち着いたら、これまでに経験した厨房の各部門だけでなく、未経験のインルームダイニングなど新たな分野にも挑戦したいと考えています。将来、子どもが増えたとしても、自分の好きな「食」の仕事を続けていきたいと思っています。

いろいろな職場、
業務を経験し、
なりたい自分に向かって
ステップアップ
ホテルメトロポリタン
総支配人室 営業企画グループ
新藤 友理Yuri Shindo
2006年入社
「とにかくやってみる」の
精神で
ホテルの基本を学ぶ
1年目は、とにかく「やらせてもらえることはやってみる」という気持ちでした。実習では宿泊、料飲、宴会部の業務を経験できたことで、各部の業務の流れや大事なポイントを知ることができました。後々に人事に配属された時には、現場にマッチした施策を立案したり、各部署の方とスムーズに連携したりする時に、実習での経験が大いに役に立ちました。本配属先は、料飲部を志望していたこともあり中国料理「桂林」に。オーダーに中国語の略称が使われていたため、まずはそれを覚えることに必死でした。お客さまに料理の知識不足を指摘されるなど、うまくいかないことも多々ありましたが、先輩方の励ましのおかげで少しずつ仕事を覚えていくことができました。
お客さまとの
コミュニケーションを喜びに
仕事の幅を広げる
ある程度のスタッフ数がいた店舗から、店⾧、先輩社員、私の3名しかいない店舗への異動でした。少数精鋭体制のもと、多岐にわたる業務を責任ある形で任せてもらい、「仕事に対する意識」が1年目と比較して格段に高まりました。金銭管理や予約管理、備品の発注業務やアルバイトスタッフのシフト作成管理、時にはインチャージ(時間帯責任者)の役割を担うこともありました。万が一、間違えてしまうとお客さまや会社に迷惑をかけてしまう業務も多く、気の張る毎日でした。それでも、お客さまと接する仕事の喜びが新人時代よりもしっかりと感じられるように。リピーターのお客さまに自分のことを覚えていただき、自然なやりとりができるようになりました。
店舗全体が見えるようになり
後輩に教える立場も経験
ホテルの1階にあるビュッフェレストランに併設されたパンやケーキのテイクアウトショップの運営とレストランの会計業務を担当しました。学生のアルバイトスタッフから料理長クラスの方まで、さまざまな人たちに、どのように接すれば気持ちよく動いてもらえ、スムーズにサービスが提供できるのか試行錯誤の日々でした。そんな日々を振り返ると、いっしょに働く人たちとのコミュニケーションや人間関係づくりの仕方がわかってきて、大きく成長できた時期だったと思います。また、後輩の教育にも携わるようになったことも、成長の糧になりました。どのように伝えれば、こちらが求める行動をしてもらえるか、自分の気持ちを押し付けるだけでなく、相手の話にも耳を傾けることの大切さを学びました。
ホテルレストランの
エキスパートとして
新しい仕事の舞台に立つ
料飲の現場から離れて、レストラン総合案内や部内の総務的業務の担当に就きました。レストラン総合案内とは、ホテルの館内にあるレストランを電話で問い合わせいただいた方や来館された方に紹介する仕事です。ホテル全体のレストランを知っていなければいけませんので、今まで以上に幅広い知識が必要となりました。また総務業務では、稟議や勤怠管理、部内の新入社員研修のサポート、制作物の作成など、多岐にわたる業務を初めて経験。それまでお店の仕事しかしてこなかった私がオフィスの仕事も行うようになり、多忙でしたが、社会人・企業人として不足していた知識・スキルを1から身につけることができました。
日本ホテル全体に
関わる業務を通して、
視野を広げる
ホテルの垣根を超えた日本ホテル全体を考える本社人事に異動。いろいろな部署を経験し幅広いキャリア形成ができる点に魅力を感じて当社に入った私にとっては、とても良いことでした。主に教育研修の企画・運営を担当し、新入社員向けや各役職向けの研修に携わりました。新入社員研修では、さまざまな学卒で入社してきた皆さんに適用できるプログラムを組み立てることが求められ、かなり大変でした。しかし、研修初日と最終日で新入社員の顔つきや振る舞いが変わり、確かな成長を感じると、たいへんなやりがいを感じました。また、研修を通して相手や目的、得たい結果を意識して伝えるようになりました。
ホテルでの経験を武器に、
他業種での挑戦
JR東日本に出向となり、初めてホテル業界以外の所で働くことになりました。私が配属されたのは、山手線の駅を中心に地域の発展や旅客の増加に寄与するイベントを企画する部署。全く異なる業界の中、役に立ったのはホテルでの経験でした。飯田橋駅や周辺エリアの散策と飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモントでのバーテンダー体験をコラボさせたイベントを提案、実施しました。職場の規模も仕事の進め方も全く異なる環境下でしたが、これまで日本ホテルで培ってきた、人とのつながりやスキルをいかして、自分にしかできない仕事ができたと思っています。怒涛のような2年間でしたが、「JR東日本グループの一員として、日本ホテルは自分が考える以上に活躍の幅が広い会社なのだ」と実感できた有意義な出向期間でした。
積み重ねてきた経験・
スキルをいかして
自分の出発点になった
ホテルをプロモーション
最初に配属されたホテルに戻ってきました。担当業務は、広報やイベント企画・実施など。就職活動の時に漠然と抱いていた「自分のホテルを外部に発信する業務がしてみたい」という願いが叶いました。プレスリリースの作成、SNSの発信や料理撮影の調整、メディア対応など、新しい業務に慣れるまでには少し時間がかかりましたが、現場で働いていた知識や経験を活かして、積極的に協力を求めること、周囲に教えを乞うことで、関係者の力をうまく集めて、ホテルメトロポリタンをよりたくさんのお客さまに知ってもらえるように努力しています。これからもいろいろな部署を経験して成長したいと考えています。そして次に挑戦したいことは、ホテルの新規開業に携わること。積極的に新規ホテルを開業している当社なら、きっとチャンスはあると思い、その時に備えて仕事に励んでいきます。